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論語「子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知。是知也。」に学ぶ[為政篇2-17]
「子曰く、由よ、汝にこれを知ることを誨えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざりを知らざると為せ。是れ知るなり」と読みます。孔子が弟子の由(子路)に言いました。由よ、知るということを教えてやろう。知ったことは知ったことし、知らないことは知らないと認める。それが知るということである。知らないことを認めることで新たな知識が吸収できる、とうことです。ややこしいですが、平たく表現すると「知ったかぶりをするな。よく知りもしないのに、通人ぶったりするほどみっともないものはないぞ。」という意味です。
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論語「子曰、温故而知新、可以為師地」に学ぶ[為政篇2-11]
「子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為すべし」と読みます。過去の経験や技術などを研究し、そこから新しい知識や方法を得る人がいればその人を師として良い。四文字熟語として有名な言葉の出典ですね。「故き」というには、経験や技術に加え、ルール、形式や作法も意味します。「昔のやり方」、「古めかしい」と排除する前に先人が作り上げた「文化」を重んじ、そこから何かを得ようとする態度。とも言えます。
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論語「子曰、学而不思則罔、思而不学則殆」に学ぶ[為政篇2-15]
「子曰く、学びて思わざれは、則ち罔(くら)し、思いて学ばざるは、則ち殆(あやう)し」と読みます。学んで考えなければはっきりしない。考えて教えを仰がなければ、独断に陥る。積み木に例えると、学んだことが「パーツ」で、考えることは、「組み立てる」こと。学び話ではいけない。ということでもあります。自分自身にも言えることですが、こういう人、周りにいますよね。
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論語「子曰、君子求諸己、小人求諸人」に学ぶ[衛霊公篇15-21]
「子曰く、君子は、諸(これ)を己に求む、小人は、諸(これ)を人に求む」と読みます。諸とは「責任」のことです。ちゃんとした人は、己の責任と思い、いい加減な人は、他人に責任を押し付ける。
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論語「子曰、君子和而不同、小人同而不和」に学ぶ[子路篇13-23]
「子曰く、君子は、和して同ぜず、小人は、同じて和せず」と読みます。和とは、自身の意見(主張)をもって調和し和合すること。同とは、自分の意見(主張)を持たず、同調すること。原文では、「雷同」と表現し、黒雲に隠れて、至るところで、ゴロゴロと鳴ることと表現しています。同調するけど調和しない。「徳」がないのでしょう。「群れるな」ということでしょうか。
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禅語「眼横鼻直」に学ぶ
「がんのうびちょく」と読みます。眼は、横。鼻は縦。当たり前のことです。この当たり前のことをあるがまま受け入れることが大切であると説きます。とかく、欲眼が出たり、偏ったり、斜めに見たり。素直に、あるがままを受け入れることは、結構難しいのです。素直に、受け入れた時、それらの意味や、存在の本質に触れることができます。これを「穿った見方」と表現します。 余談ですが、「穿った」というには、少し偏見に満ちた悪い意味で使われることがありますが、実は、本質を抉るというような良い面の言葉なのです。